大田区の町工場が結集、下町ボブスレープロジェクトは「モノづくりのシリコンバレー」に

「モノづくりのシリコンバレーになる」 大田区の町工場が立ち上がった下町ボブスレープロジェクト
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メイドインジャパンのボブスレーを作るプロジェクトが始まっています。その名も下町ボブスレープロジェクト。東京・大田区の町工場をチームの活動拠点とし、氷上のF1と呼ばれる「ボブスレー」日本代表の公式マシン作りに励んでいます。目標は「ソチ五輪で採用されること」。


チームの発足人である株式会社マテリアルの細貝淳一社長と、チームメンバーの1人株式会社ソフトウェアクレイドルの吉川淳一郎課長に話を伺いました。

下町ボブスレー・プロジェクトにみる「チームワークの流儀」

■大きな目標が、メンバーの志を動かす

―人を動かすのは、お金ではなく、ワクワクさせる目標。
■トップダウンではない、適材適所の役割分担

―最初は声を上げても徐々に任せていく
■最終目標からブレない

―何のためにこれをしているのか。目の前の仕事だけではなく最終ゴールに対しても着実に動く

世界を目指す地域発のプロジェクト

景気低迷による受注減やコスト低減に向けた海外受注の増加により、日本の町工場は経営の危機にさらされています。町工場が多く集まる東京都大田区も例外ではありません。

2000年初めに液晶TVや第3世代携帯の普及により、液晶パネルの受注が飛躍的に伸びたにもかかわらず、ITバブルが崩壊するとパタッと受注が止まりました。同時に、アジアを中心に海外に生産拠点を移す企業が増え始め、一寸先は闇を味わった町工場。

大田区で町工場を経営し、今回のプロジェクトリーダーでもある細貝淳一氏は当時を振り返ります。

下町ボブスレープロジェクトリーダーの細貝氏



「安全性や質の面では、国内で生産したものの方が圧倒的に優れているのですが、テクノロジーの進化により、必ずどこかで追いつかれることは目に見えています。国内で生産している私たちは、価格が安くて技術力が見劣りしないものでないと勝ち目はないと危機感を持ちました」

「負けが想定される海外との戦いより、次の一手を考えていた矢先に、“これからは航空機産業が盛んになる”といううわさが業界内で広まり始め、今話題の「ボーイング787」という新型機が誕生したんです。この航空機は、カーボンとアルミを融合して作られています」

「私が経営している株式会社マテリアルは、アルミ、ステンレス、銅など数多くの素材を販売しています。私たちが得意とする素材なので興味はありましたが、航空機を作るのは経験がないと難しく、すぐには参入できません。であれば、同じような素材を使ってできることはないだろうかと、航空機に代わるものを探していました」

当時、大田区産業振興協会も「次の一手」を探していました。大田区の工場は一般の人が目にするようなものではなく、産業機械をはじめとするBtoBの製品や部品が多い点も特徴です。BtoBの製品には守秘義務もあり、なかなか大田区のPRにつながりにくく、協会側も町工場の隆盛に向けた「要の産業」がほしいと思っているところでした。

「協会の人から“ボブスレーはどうか”と打診を受けました。オリンピックを目指せて日本製が存在しなく、大田区全体でやれるかもしれないと」

「一企業ではなく“地域発で世界を目指す”ことを前提に取り組みができることもあり、本気で向かえば十分ボブスレー製造への参入余地はあると思いました」

「このプロジェクトの最終的な目標は、2014年のソチ五輪でボブスレー日本代表の公式マシンとして採用されることです。こうしてオリンピック出場を目指し、2011年11月にプロジェクトがスタートしました」

下町ボブスレー

トップメンバーを動かすのに必要なリーダーシップ

とはいえ、何百もある各町工場を動かすのはそんなに簡単ではないのは想像につきます。細貝リーダーはどのように周りを巻き込んだのでしょうか。

「言い方は悪いですが、お金が絡んでいたら誰でもついてきますよね。またこのプロジェクトは、大量生産して販売するモデルはないので、すぐにお金にはなりません。むしろ開発費はメンバーの持ち出しです。日本での生産事例が存在せず、日本語の設計図もない。すべてゼロからのスタートです」

「大変な苦労が伴うことが容易に想像できる中「ソチ五輪で走らせたい」という思いにどういう判断を下すかは、それぞれの企業に任せるしかありませんでした」

「ふたをあけると、この思いに共感してくれた30社が集まり、プロジェクトが始まりました。もし大田区で誕生したボブスレーがオリンピックでメダルを取るくらい活躍したら、それはとてもすごいことですよね」

図1--2

このプロジェクトの特徴は色々な企業がかかわり、本業以外のリソースを割きながら「世界を目指している」点です。各企業は通常の受注生産業務もあり、協力できる形はさまざま。そういうチームをどうまとめているのでしょうか。

「確かに1つではなく色々な会社がかかわることの難しさはすごくあります。しかも町工場の集まりなので、メンバーは各工場の社長や役員です。彼らをチームとしてまとめなくてはいけないんです」

「日頃は会社のトップに立っている人がプロジェクトに参加すれば、必然的に“一番上”ではなくなります。だから私は社長も役員も社員も関係なく「皆、縁の下の力持ちなんだよ」と、同じメンバーとして「平たく」扱うことを心がけました」

「トップダウンでやったところで、いい結果は生まれるはずがありません。特に経営者はそれぞれ“こうしたらこうなるんだ”という原理原則を持っていますからね。これをまとめるのは大変ですよ(笑)」

このプロジェクトのメンバーは、自社に戻ればその会社の「トップ」です。それぞれの経営人生の中で培った持論を生かしつつ、全員を1つにまとめる難しさは想像するだけでつらく思えます。細貝リーダーは「チームの創成期の大変さは自分が背負った」といいます。

「まずは私がしっかりリーダーシップを発揮することを心掛けました。こういう新規プロジェクトは、創成期が一番大変です。任務を遂行する力と、外部からのプレッシャーに耐える力が必要だからです」

「自分の会社経営がある中で、そこを担える人はなかなかいない。現在は言いだしっぺでもある私が率先して、このポジションに立っています。まずリーダーとしてのポジションを確立し、メンバー全員を対等に扱い、各々の適正を見極めて役割分担していきます」

「グループディスカッションを数カ月繰り返していくと、メンバーの得意、不得意が見えてきます。発言回数が多く実行力のある人は、プロジェクトを引っ張る力があるでしょうから、そういう人を各セクションの委員長に任命します。下の世代に盛り上げてもらう必要があるので、委員長には社長クラスの方だけじゃなく、いろいろな世代の人がなれるようにしています。私自身のポジションも、無事ソチ五輪出場を果たしたら、別の方にバトンタッチする予定です」

下町ボブスレー

得意不得意を見極め、適切な役割分担をしていく。そこがメンバーを動かす秘訣でした。

やりとりはすべてFacebookで

色々な企業がかかわっている中で、情報共有はどのようにしているのでしょう。

「主にFacebookを活用しています。最近は、マスコミが私たちのプロジェクトに注目し、多くの取材依頼がくるようになりました」

「うちの会社だけではすべて対応できないほどなので、参画企業が代わる代わる取材対応をしています。取材ににはじまり、ボブスレー貸し出しや講演の日程調整、スポンサー連絡関連といった大半の情報は、Facebookのグループ機能内で共有しています。あと、プロジェクトを応援してくださる皆さんへの情報発信にも、Facebookを活用しています」

メンバーのモチベーション

細貝氏をリーダーとして集まったメンバーは、それぞれの担当で主導権を持ち、国産ボブスレーの開発にかかわりました。その一人である株式会社ソフトウェアクレイドルの吉川氏は、プロジェクト参入の経緯をこう語ります

「私たちの会社は、熱流体解析のソフトを開発・販売し、自動車メーカー等に提供しています。新たなボブスレーの開発にはさまざまな解析が必要ということで、弊社製品のユーザー様が話を持ちかけてくれました」

「ありがたいことに、大規模プロジェクトへの協力依頼は多くいただきますが、さすがに“オリンピックを目指している”というのは初めてで興味がわきました。それに海外のチームはBMWやFerrari、NASAなどが開発した高性能マシンを使っているのに対し、日本は外国製の型落ち番を使用しています。今回国産のソリを作るということで、私たち国産ソフトウェア会社も何かできないかという思いが芽生えていったんです」

下町ボブスレー、ソフトウェアクレイドル

ボブスレーの開発経験がまったくない中で起こる「やりたい気持ち」。吉川氏はどのように会社の許可を取っていったのでしょうか。

「まず社内で誰に話をするべきか考え、全部署のトップに“企業プロモーションの一環として、このプロジェクトにかかわりたい”と話しました。すると「こういうものは積極的に取り組んだ方がいい」と前向きな返事が返ってきて、動くことができました」

「当初私は“業務に差し支えのない範囲で取り組みたい”と言ったんですが、経営陣も“業務としてしっかりやろう”と理解を示してくれて、思いきり取り組めました。やはり“オリンピック”というキーワードが大きかったのでしょう。当社のソフトウェアを使ってオリンピックに出場したとなれば、大きな宣伝効果になりますから」

まず手掛けたのは、日本にある旧式のボブスレーを分解して型を理解することでした。ボブスレーはすべて外国産ということもあって、日本語の設計図はなく、すべてがゼロからのスタートです。

2012年1月にキックオフした同プロジェクト、同年11月の大田区の展示会に1号機を出展することを目標に掲げました。約9か月で、ゼロから国産ボブスレーを作らねばならない。吉川氏は空気抵抗の計算に集中し、型作りに貢献します。

「強くて空気性能の高いマシンを作るために、あらゆる計算をしました。さまざまなケースを想定して計算するんですが、解析ソフトがあればすぐにできるものでありません。パソコンの約10倍の処理能力を持つ大型コンピュータを利用しても、1つの計算に約1時間半を要します。それを何十ケースも試しながら、最も空気抵抗の小さいボディ形状を導きだしていく。これを5月までに終えなければなりませんでした」

「日々の自動車業務には設計図があるので、ある程度計算の予測が立つのですが、国産ボブスレーは何もない状態からのスタートだったのでやることが多くて(笑)。設計段階もさることながら、製造にかかわる全員が大変だったと思います」

「この計算を持って7月末にマシンの形状を決定し、9月に設計図を完成、10月末に最終的な実機を仕上げるスケジュールで、何とか11月の展示会に間に合わせました」

下町ボブスレー

展示会のお披露目を持って、世に「下町ボブスレープロジェクト」の認知が広がっていきます。予想以上にハードなスケジュールがこなせた秘訣を吉川氏は次のように言います。

「オリンピックを目指す以上、“世界で通用すること”が基準です。いくら時間がなくても妥協は許されません。全員が常に高いモチベーションを持ち続けていることが、複数の会社をまたいでもチームがまとまる要因かもしれないですね」

「得たものは苦労だけではありません。私自身、今回のプロジェクトでは町工場の方々から強い刺激を受けています。会社組織という枠組みの中で忘れがちな“大胆さ”や“スピード感”に対する刺激が受けられたのも、プロジェクトに参加して良かったと思う点です」

マシン開発だけでないプロジェクトの広がり

1号機は11月のお披露目後、12月にはテスト走行を開始、好成績を収めました。同月の全日本選手権で使用され、選手を優勝に導きました。実機としての成功もさることながら、目標はあくまでも「オリンピック公式ボブスレー」となることです。

しかし、実機の製造を進めていくなかで、日本のボブスレー競技そのものが抱えている問題も知ることになります。自分たちの作ったボブスレーの公式化に向け、国際大会で走らせるボブスレー運搬費(日米間往復の運搬費は1体130万円)などの費用、競技人口の少なさがもたらす選手層の薄さが、目標への道を阻もうとしていました。

「日本代表チームの公式マシンとしてオリンピックに出るためには、「マテリアルチェック」(マシンテスト)と「日本代表チームが出場すること」の2点を解消しなければいけません。日本代表チームがオリンピック出場権を得るためには、国際大会で走り、ポイントを稼ぐ必要があります。それには当然、莫大な遠征費がかかるわけです。ボブスレー協会自体が資金的に苦しいこともあり、寄付金を集める活動や選手発掘の活動も行っています」

長野での全日本ボブスレー選手権の様子

航空機への参入検討を機に始まったボブスレープロジェクト。最終的な目標がそこだという部分はブレていないといいます。

「まずはソチ五輪に出場し、優勝すること。これは絶対やり遂げないといけないですね。最終的には「大田区の町工場がこんな技術力を持っているので、航空機産業に参入できます」というアピールにつなげたいと考えており、その活動も着実に行っています」

「航空機を作るための品質管理のライセンス「JIS Q 9100」も取りました。これがあると、航空・宇宙・防衛産業界における品質マネジメントシステムの国際的な認証を得たものとして取り扱われます。またボブスレーは浮かせる技術が必要なので、航空機関連の企業が参入しやすいんです。NASAが手がけているボブスレーが好例です。私たちもボブスレーで培った技術は、航空機産業に参入したときに必ず生かせるはずだと思っています」

ボブスレーの先にある念願の航空機産業への参入。地域発世界を目指す一大プロジェクトが成長を遂げ、大田区が世界で通用する「モノづくりのシリコンバレー」となる日はくるのか。プロジェクトの挑戦はまだ始まったばかりです。

現在も2号機開発が行われている町工場

  

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